詳細カテゴリ:[MONSTER]アニメ他
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- MONSTER 第68話「ルーエンハイム」 (2005/08/27)
- MONSTER 第67話「ただいま」 (2005/08/23)
◆ギレルモ・デル・トロとHBOが浦沢直樹の人気漫画『MONSTER』をTVドラマシリーズ化!
http://blog.livedoor.jp/news_rumor/archives/6473694.html
http://rocketnews24.com/2013/04/25/321952/
http://www.deadline.com/2013/04/guillermo-del-toro-is-hatching-a-monster-of-a-series-at-hbo/
キターーーーーーーーーーーーーー!!!
この時を待ってました!!
テンマとヨハンは誰がやるの!?ヨハンは美しい人でお願いします!ニナと一人二役じゃなくてちゃんと美男美女の役者さんで演じてください!できれば双子らしく似てるといいな!でもさすがに女装は無理かなドラマシリーズだからキャラは端折られずに済むかも?メインキャストはもちろんルンゲ警部とかグリマーさんとかロベルトとかボナさんとか脇も期待でも前の映画化の時みたいに途中で頓挫しちゃうんじゃないかとか、とかとかとか! ドラマ化知ってから心がとんでもなく入り乱れております。
うおおついにドラマ化きちゃったよ!!
あーほんとヨハン…ヨハンを誰が演じるかでこのドラマの評価変わるだろうなあ…それくらい難しい役だけど、ほんと頼みます。
ヨハンほどじゃないけど、テンマ先生もどうなるか。日本人は無理でも日系人くらいの設定はほしいなぁ、誰がやることになっても。や、本音を言えば日本人にやってほしいけども。
話が進むにつれて格好良くなっていきつつ最初の頃の優しさ(&可愛さ)もちゃんと持っていて…という複雑な役どころだけど、原作の先生の雰囲気は損なわないでほしいな。とりあえずソイソース!肉じゃが!オヤコドンは見たい!
あと双子の子役も気になる…金髪碧眼色白のめっちゃ可愛い子たちだといいなあ。絵本も劇中劇くる?
>天才的な外科医と怪物的な殺人鬼の運命的な出会い
もうこのコピーだけできゅんきゅんする……。いいね、まさに運命だね。二人が実写で見られるのほんと楽しみ…!
この監督さんは別の映画でプラハロケもしているそうなので、MONSTERもドイツとチェコでロケしてくれるはず。期待してます!!
まずはMONSTER話。
MONSTER DVD-BOX CHAPTER5のジャケットが公式サイトで公開されました。
ジャケットの登場キャラはテンマ、ヨハン、ニナ。あの重要シーンの三人が描かれています。むひひ、好きな三人が一挙に集まってニヤニヤと画面を眺めてしまいましたよ。
とくにヨハンの目は見とれてしまうなあ。漫画でもアニメでも彼の目がクローズアップされるシーンがよくありますが、口元は微笑を浮かべているんだとわかっていても、あの目だけを見ると何ともいえない哀しさを感じます。きれいだけれど儚いような哀しさ。
ジャケットの絵は充分満足ですが、贅沢を言えばボナ博士も見たかったところでしょうか。博士もジャケット絵を飾ってもおかしくないくらいのメインキャラですから。
久しぶりにハリポタ話。
ついに明日、映画『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』が公開されます。先行に行った方の感想を見てもおおむねよかったようで、今から楽しみですね。
それにしてももうアズカバンから1年半なんですね。去年の今頃はDVD発売にドキドキしていました。私はハリポタでは原作も映画もアズカバンが一番なので、4作目は前作ほど思い入れがありません。ルーピン先生が登場しないですからね。名前だけでも出てくるシーンがあるといいなぁ。
ですが、テレビではCMも頻繁に見るようになり、新聞には広告も大きく載っていて、ハリポタ熱が再燃しつつある今日この頃。何より先日の1作目「賢者の石」の放送が大きかったのかも。スネイプ先生の登場シーンのたびに奇声を上げてしまったよ。アラン・スネイプはやっぱりステキ。アズカバンのときは体型(とくにお腹…)が気になったけれど、ゴブレットでは大丈夫なんでしょうか…。出番もどれだけあるのか気になります。
ヴォルデモート卿のシーンもどうなるのか楽しみです。シリウスのシーンも。たぶんアズカバンと同じくエピソードの大幅カットがあるんでしょうが、原作とは別のメディアとして純粋に楽しみたいですね。
その1ではアニメ全体の感想やキャラクター別の感想を書きましたが、その2ではヨハンとラストシーンを中心に考察していきたいと思います。
以下はネタバレですので、未見の方はご注意ください。
■ヨハンの覚醒
最終話の穏やかな空気が一変した、ヨハンの告白シーン。
ネットの感想を見ると、アニメで初見の人ほど、このシーンを怖いと感じたようで。私も原作で初めて読んだ時はページ見開きヨハンに度肝を抜かれましたが、今では怖いというよりも哀しいといった感情のほうが勝っています。私にとってこのシーンは悲痛以外の何物でもありません。
突如目を覚ましたヨハンと、目を見開いたまま動けないテンマ。ドクン、ドクンと響く心臓の音はたぶん、ヨハンとテンマ二人の音でしょう。
この時、おそらく二人はあの終わりの風景の時のように同調していると思います。荒野の風景をテンマに見せた時と同じように、過去の記憶を直截的にテンマに見せているのです。
(この解釈だと超能力といった類の力になってしまいますが、洗脳に秀でたヨハンがこういった能力を持つのも不思議ではないのかもしれません。ロベルトにココアの思い出をよみがえらせた彼ならあるいは…)
だからあの過去の映像はテンマの白昼夢ではなく、明らかにヨハンの意思が入っていたと思います。夢オチなどでは決してなく、ヨハンはテンマにメッセージを送っているのです。
「Dr.テンマ……あなただけに聞いてほしいことがある」
ニナにも誰にも言えず、今まで心にしまうだけだったあの記憶。終わりの風景を共有し、二度も命を救ってくれたこの人ならわかってくれるかもしれない。そしてあの記憶を話した後も、それでも変わらずに母親に愛されていたとやはり言うのだろうか……?
そんなヨハンの思いが伝わってくるのが、この一言でした。
■母親の選択
ヨハンがすべてに対して虚無感を抱くようになってしまったのが、母親が双子を選択したこの瞬間。
このシーンに、ヨハンが最初の殺人を犯した時や「なまえのないかいぶつ」の朗読の時にかかっていたあの曲を持ってくるとは思いませんでしたが、ざらざらした映像と愁いのある曲が、この残酷なシーンをより悲愴なものにしていました。
その1でも触れましたが、こちらでも一応。
最初は子供達を連れて行かれないように必死だった母親が、「これは実験だ。どちらかを残してどちらかを連れて行く」とボナパルタに言われた途端、選択をしてしまったのはなぜでしょうか。
せめてどちらか片方が助かるのならと考え、ニナを差し出し、ヨハンを残したとも考えられますが、私は母親が片方の子を助けるためにやったとは思っていません。
母親は自分の子を怪物にしてボナパルタへ復讐させるため、自分と同じ女であるニナを差し出したのでしょう。ボナパルタの「これは実験だ」という言葉を聞いた瞬間、母としてではなく復讐心の塊のような人間に陥ってしまったと。
「私は許さない。私の中でどんどん大きくなっていく子供達が、必ずあなたに復讐する」
彼女はこの言葉を実行し、自分の子供を復讐の道具に使ったのです。
結果としてヨハンのほうが復讐を果たしたわけですが、バラの屋敷に連れて行かれるほうが怪物になると考えるのが妥当な気がします。
故に母親はヨハンとニナ、二人の区別がちゃんとついていたと私は思っています。
「こっち……いえ……こっち」は、どちらを差し出せば復讐できるのかを逡巡した結果なのであって、双子がどちらなのかわからなかったわけでも、二人を間違えたということでもないはず。
子供達を選別するという残酷な罪を犯した母親ですが、双子のどちらがどちらかわからない、そこまで愚かな人間だとは思えないのです。
シューバルトがヘレンカ(マルゴット・ランガー/カールの母)のことを尋ねに、三匹のカエルで双子の母親と語り合うシーンがあります。母親の傍らで二人の話を聞いている双子は、まだ男の子、女の子とわかる姿でした。
母親は最初からヨハンに女装させていたわけではなかったのですね。
(ちなみに、他人が容易に訪ねて来たことに危機感を抱いた母親が、この時をきっかけにして双子に同じ格好をさせるようになったと思っています)
そんなふうに双子を男の子と女の子、別々であると認識して暮らしていた時期があったわけで、母親が双子を間違えることがあったとは思えません。これは本当に個人的な解釈ですが。
それでもヨハンが、自分を助けようとしたのか、ニナと間違えたのか、母親に対して疑念を抱いているのは仕方のないこと。
母親は実験によって双子の名前を忘れていました。そのせいで子供達に対して「こっち」という言い方しかできなかった。
また、ボナパルタから逃げ隠れるため双子と思われないようにヨハンをニナと同じ格好にさせていたことも大きいでしょうね。
名前も姿かたちも、何ひとつ自分らしいものを持つことを許されなかったヨハン。母親が自分と妹を個別に認識できていたかなんて、彼にはわかりようがないのです。
母親から選択されたことで、自分のすべてを否定されたように思ってしまったこと。
母親が自分とニナ、どちらを愛していたのかわからないこと。
あるいはどちらも愛していなかったかもしれないこと……。
あの選択によって、ヨハンは自己のアイデンティティを失いました。
さらに、ニナが引き渡された後、母親もすぐにどこかへ連れて行かれ(母親はボナ博士と一緒だった?)、三匹のカエルでひとりぼっちになったヨハン。彼が母に捨てられたと思うのは必然だったのでしょう。
■「いらなかったのは、どっち……?」
「母さんは僕を助けようとしたの……? 僕と妹を間違えたの? どっち……? いらなかったのは、どっち……?」
「君は母親から愛されていたんだ」と言うテンマに過去を見せて、「これでも本当に愛していたと言えるの?」と突きつけるかのように、テンマに母の愛情を問うヨハン。
ヨハンが発したこの言葉、哀しいと同時に、なんて無垢で純粋なんだろうと思いました。その口調もあって、まるで小さな子供のよう。
だから私にとっては、ヨハンはかわいそうな子供です。怖い仮面を被った……被っていた小さな子供。母親に選択された時から、彼の心はずっと時間が止まったままだったのでしょう。
その止まっていた時間を動かしたのがテンマです。もう一度救ってくれたテンマだからこそ、初めて自分の思いを吐露することができた。
それでも夢という曖昧な形でしか伝えられなかったのは、怖かったからでしょうね。ヨハンはテンマの反応と答えが恐ろしかったのではないでしょうか。
けれど実際、夢としてではなく、現実にこの言葉をぶつけていたら、テンマはなんて言ったのでしょうね。あんなむごい過去を見せられて、すぐに言葉が見つかる人間はそうはいないでしょうから……。
■本当の怪物
本当の怪物とは、人間そのもの。
他作品でもよく見るテーマではありますが、結局そういうことなんだと思います。
ヨハンも母アンナもフランツ・ボナパルタも、そして511キンダーハイム出身者達も、みんな人間だからこそ起きた悲劇です。
母への絶望と自己の否定、ニナへの罪悪感から怪物になったヨハン。
ボナパルタに憎悪を募らせるあまり、狂気に囚われてしまった、母・アンナ。
他人を自分の思い通りに支配して、神になる欲望を抱いたボナパルタ。双子の母親に恋して欲望を放棄したものの、その恋心からバラの屋敷の惨劇を引き起こすことに。
幼少時に洗脳を受け、名前と記憶をなくした511キンダーハイム出身者達。彼らは誰よりも感情を欲していた人間だった。
すべては人間がもたらしたこと。この一言に尽きると思います。
■消えたヨハン
人によって様々な解釈があるのがラストのヨハンの行動。
窓が開いていたことから飛び降り自殺したと推測している人もいれば、母親を殺しに行ったという人、そもそもヨハンは存在しなかったという人も。
もちろんどの予測もなきにしもあらずでしょうが、どれも救いがなく、何よりテンマやヨハンが葛藤したあの日々は何だったのかということになるので、私は別の予想です。
ヨハンは母親に選択された記憶を思い出してから、母に捨てられたのだとずっと思っていました。それなのにテンマから信じられない一言が。母親が双子を愛し、本当の名前を付けていたと言うのです。ヨハンは耳を疑ったはず。だからこそテンマに選択の記憶を見せてまで母親の愛情を問うたのです。
結局テンマから答えを聞くことはしなかったヨハンですが、テンマの言うことが本当なのか真実を知りたいと思ったでしょう。本当の名前を知りたいと。ヨハンはそれを確かめるために母に会いに行ったのではないでしょうか。
彼がその場にいたことを示す、痕跡を残したままのベッド。光が差し込み穏やかな風に吹かれている病室。これらは、ヨハンが救われたことを暗示しているのではないかと思っています。
もうヨハンは怪物じゃない。
「ANOTHER MONSTER」を読んだ今も、その思いは変わりません。
■ヨハンの今後
最後は妄想を含めた予想です。寛容な方だけお読みください……。
もうね、この際テンマは、ヨハンもニナもディーターもみんな引き取ってしまえばいいんですよ。三人ともテンマを父親のように慕っているわけだし(ニナは微妙?)、テンマ先生責任取りなさいよと。それで仲良くピクニックですよ。
だいたい当のテンマが孤独ですからね。いっそ家族を作っちゃいなさいよと。
テンマが国境なき医師団で留守の時は、ライヒワイン先生の所に押しかけてしまうのもいいかもしれない。ライヒワイン先生はみんなのおじいちゃんですから。この三人の他にも、休みの日はみーんな入り浸って。ってありえないですか、そうですか。
もしくはヨハン達三人とも国境なき医師団に付いてっちゃったり。あ、弁護士志望のニナは無理か…。ヨハンなんかその才能を生かしてテンマの助手だってできるはず。うん、いいかもしれない。死だけを見てきた彼が、これからは生も見ていくと。
……と妄想しつつも、ヨハンがまっとうな生活を送ろうとする時点で、法律的な問題が山積みなわけだけれども。数え切れないほどの罪を犯したけれど、それをすべて立証するのは難しいでしょうし、何より旧体制下の国家犯罪に翻弄されたヨハンを裁くことができるのかといった問題も孕んでいますからね。
また、ヨハンを利用しようとする人間もごまんといるでしょうから、国としては彼の扱いに困るような気もします。ヨハンはこれからどうするのでしょうね。
母親に教えてもらった本当の名前を名乗ることにして、新しい人生をやり直す。それが一番いいような気がします。ヨハンにとっては生を見つめることが殺めた人々への償いになるとも思いますし……ってこれは甘すぎでしょうか。でも今までのヨハンのことを思うと幸せになってほしいと願わずにはいられないのです。
そして仲良し家族計画を(ry
……かなりの長文になってしまいました。考察するうちにどんどん書きたいことが増えていってこんなことに。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
■関連記事
- 時系列でヨハンを考察してみる その1(誕生~Dr.テンマとの出会い)
- 時系列でヨハンを考察してみる その2(妹との別れ~トルコ人街焼き討ち事件)
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- 『MONSTER』 キャラクター語り その2(ヨハン)
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■MONSTER 記事の一覧リスト
このブログのMONSTER関連の記事をまとめて載せています。
とうとう最終回を迎えたMONSTER。1年半にも及ぶ長いスパンでの放送にもかかわらず、最後までその高いクオリティを落とさなかった貴重なアニメでした。
作画、演出、音楽、声優陣、すべてにおいて丁寧に作られ、とくに終盤は原作を超えることもしばしばで、原作つきのアニメでは奇跡といってもいいのかもしれません。
この作品を観ることができて幸せでした。スタッフに感謝と拍手を送りたいです。
■映像、演出
映画のように抑えた色調。原作のイメージを壊さず、原作以上に端整なキャラクターデザイン。どれも作品世界に溶け込んでいて良かったです。背景画は、ドイツやチェコの美しい街並み、幾度か出てきた夕陽のシーンが印象的でした。
また、初期の頃は原作そのままの構図が多かったような気がしますが、後半になるとアニメならではの映像も増え、洗練されていったのがよくわかりました。その最たる例が、ぐるりとカメラが回るあのマトリックス映像(!)なのかもしれません。
■音楽、OP、ED
場面場面で様々な表情を見せ、作品を盛り上げてくれた音楽。終盤はMONSTERの切ない部分を凝縮させた曲を多用して、物語に厚みを出していました。
作品の顔であるOPとEDについても。
高音のコーラスが耳に残る「GRAIN」と、物語の鍵となる人・物・シーンを存分にちりばめたOPが非常に秀逸。(終わりの風景はもちろん、三匹のカエルの看板、赤いバラの屋敷、ボナ博士まで登場。惜しむらくはグリマーさんが出てこなかったことくらい)
絵本の「なまえのないかいぶつ」の内容が少しずつ進むEDも独創的で面白いと思いました。デヴィッド・シルヴィアンの「For The Love Of Life」からフジ子・ヘミングの「Make it Home」に変わった時はショックでしたが(笑)今では「Make it Home」のやさしいメロディに癒されています。
最終回なので注意書き。以下はあらすじも含めてネタバレです。最後まで観ていない方はお気をつけください。しかもいつも以上に長文です……。
【あらすじ】
惨劇は終わり、人々はそれぞれの道を歩んでいた。
エヴァはキッチンコーディネイターの仕事に就き、ルンゲは警察大学校の教授になった。ヴァーデマンはグリマーの嫌疑を晴らし、大学を卒業したニナは弁護士を目指していた。そして事件後、事情聴取を受けたテンマは身の潔白が証明され、今は国境なき医師団に参加していた。
ヘッケルの力を借りて、双子の母親の居場所を突き止めたテンマ。テンマから双子が生きていると聞き、母親は涙を見せる。過去、自身が犯した過ちに苦しんでいた彼女は、双子の名前をテンマに明かすのだった。
テンマは病院で眠り続けるヨハンに、母から愛されていたこと、本当の名前があったことを話すが、突如ヨハンは意識を取り戻し、テンマに過去の出来事を語り始める。
それは双子の親子三人が三匹のカエルに隠れ住んでいた頃だった。双子のどちらを赤いバラの屋敷に連れて行くか、実験と称して母親に選択を迫るフランツ・ボナパルタ。母にしがみつく子供達。ついに母親はニナの手を離してしまう。
「僕を助けようとしたの? 僕と妹を間違えたの? いらなかったのはどっち……?」
テンマに母親の愛情を問うヨハン。それは夢か幻か。
テンマは病室を後にし、ヨハンは姿を消す。――ベッドに痕跡を残したままで。
■キャラクター感想
長くなってしまったので登場順にキャラクター別の感想。
冒頭は原作にはなかったカールとシューバルトのシーン。いきなりこのシーンが来たから、他にも追加シーンはあるのかと期待したのですが、唯一の台詞つきアニメオリジナルのシーンでした。うーん他にも見たかった。あ、この人たちだけキャラ感想にならない…(笑)
エヴァはすっかり落ち着き、ぐんときれいになりました。
以前のケバさが抜け、いい女になったなぁと。今の彼女なら、アルコールや誰かに依存することもなくやっていけるでしょうね。どん底に落ちていた頃のエヴァを思うと感慨深いです。この作品で一番変わったのが彼女なのかもしれない。
グリマーさんの墓を訪れた、スーク、ヴァーデマン、ルンゲ警部。
グリマーさんと交わしたビールをおごる約束を墓前でようやく果たすルンゲ警部が切ないですね。彼は娘さんとメールのやりとりをするようになったそうですが、グリマーさんや多くの人達との出会いで家族と向き合うことができたんでしょうね。孫にも会えるといいね。ホロリ。
グリマーさんも……生きていたら、この三人とも友人になれていただろう彼のことを思うと本当に悲しい。グリマーさんには生きていてほしかった……。
声がちょっと低くなり背も伸びたディーターと、久しぶりに登場し、“ますますずる賢そうになった”ヘッケルのコンビ。
ディーターって見事にテンマとヘッケルに対する態度が違うなぁ(笑) しゃべりながら器用にリフティングをする生意気っぷりが良かったです。
ディーターが最終話に出てくるのは当然として(後半は存在が薄いですが一応主要キャラですから!)、ヘッケルまで登場するのは嬉しい。怪物だとか葛藤だとか、そんなものとは一番遠い所にいるヘッケルはかなり好きなキャラです。安原義人さんの声もやっぱりいい。
ヘッケルが登場したのは、双子の母親の居場所を捜すという重要な役目のため。テンマも人の使い方が上手いなあ。警察に盗みに入るなんてほとんど自殺行為ですが、それを難なくこなしてしまうのがヘッケルのすごいところです。母親の居所が警察のマル秘資料に載っていたのは気になるところではありますが。
長く大学を休んでいたのに、卒業論文がトップだったニナ。
ヨハンと同じように彼女も生まれながらに天才なんでしょうね。ヨハンがその能力を負の方面にしか向けられなかったのに対し、正しいことにその頭脳を使うことができるニナは幸せなのかもしれません。検事から弁護士に志望を変えたということは、ヨハンやテンマと関わったことで考え方が変わったのでしょうね。
しかしここのシーン、ドアだけCGで違和感があったです。
以前、テンマとニナの関係に恋愛感情はないだろうと書いたけれど、テンマに会えることを無邪気に喜ぶニナを見ると、テンマにほのかな恋心を抱いていてもおかしくないような気がしました。親子ほども歳の離れている二人ですが、ニナにとっての父親はあくまでフォルトナーさん。“白馬の王子様”の幻想を抱いていた彼女が、心を救ってくれたテンマに恋愛感情を持っても何ら不思議はないのですね。
ただ、テンマがニナに対して恋愛感情を抱くのは難しいかもしれませんが。
髪を切り、髭を剃ったとたんに若返ったテンマ。
原作時、長髪テンマが好きだったので髪が短くなった彼は悲しかったけれど、アニメだと妙に爽やかでかわいくて、これはこれでありかなと思うように(笑) いや、でもやっぱりあそこまで短くしなくてもいいかな。短くても外科部長時代くらい(後ろがもうちょっと長い)がちょうどいいような気が。一番好きなのはミュンヘン編辺りの長さですが。
大学教授を辞退して国境なき医師団に参加というのはテンマらしい選択です。ヨハン追跡の旅で失ったものも多いだろうけれど、決して苦しみだけを生んだわけではないのですよね。あの長い旅があってこそ選ぶことができた道なのでしょう。
容貌がずいぶん変わってしまった双子の母・アンナ。
歳だって40代のはずなのに、かなり老けて見えます。ボナパルタへの憎悪、子供達に対する後悔、実験による障害……双子を手離してからの苦悩の日々が美しかった彼女を変えてしまったのでしょうか。
同じく年老いた姿で登場したボナパルタ(ポッペさん)とも重なります。彼女もボナ博士と同じように報いを受けた一人なのかもしれません。どういった経緯で彼女が修道院に身を寄せるようになったのか気にかかります。
一時はこの双子の母親こそが「本当の怪物」だと思っていましたが、双子のことを聞いて涙を流す姿を見るとそうとは言い切れないような気がします。確かにあの選択時は怪物のように狂気じみていましたが、この人も被害者には違いないわけで。
「手をはなさないで」という子供達の言葉を口にしながら、片方の子を差し出してしまった右手を動かし、「本当の怪物は誰……?」と呟いた母親。あの時の記憶を忘れられずに、ずっと長い間自分を責め続けていた証しでしょう。
彼女は確かに過ちを犯しました。けれど双子を愛していたのも確かだと思うのです。なぜならあの実験の日々の中、双子の名前をちゃんと考えていた人だから……。
選択のシーン、「こっち……いえ……こっち」は絶叫調ではなく、原作のように淡々と言ってほしかったのですが、選ぶ時の母親の顔をあえて映さず、選択される側の双子の様子を重点に置いていたところは良かったと思います。
手を離されそうになって必死にしがみつくヨハンや、差し出される時のニナの細かい描写は、原作より双子がいじらしくて胸を打ちました。いくら卓越した能力を持って生まれたといっても、この時は母にすがるしかできない小さな子供だったんですよね。ああ……。
最後の最後でヒールっぷりを披露してくれたボナパルタ。
本当に血も涙もない人だったんだね、ボナ博士。と言いつつ冷酷無慈悲な彼に萌えてしまったのは秘密です。紫の瞳がたまりませんな。
双子の母親に選択を迫るシーン。彼は、双子の母親の復讐心を利用したのでしょうね。
子供達を必死に守る彼女に一言「これは実験だ」と言えば、彼女が子供を差し出すのをわかっていたと。「実験」という言葉を畳みかけるように言う彼と、母親のはっとした表情を見てそう感じました。
(なので私は母親がヨハンを助けようとしたのではなく、ニナを怪物にするために差し出したのだと思っています)
ちなみにボナ博士が彼女への恋心を自覚したのは、この直後だったのではないかと想像しています。
“悪魔に魂を売った”後の母親はどんな顔をしてどんなことを思ったのでしょうね。私は、その時の痛ましい彼女を見て惚れてしまったのではないかと思うのですがどうでしょうか。うーん、だとしたらなんて皮肉。
最後はどこへ行ってしまったのか、解釈が分かれるヨハン。
…が、長くなるので彼の感想はその2で語ります。スミマセン。
母親の選択やラストシーンの考察、ヨハンのその後予想、本当の怪物は何なのかといったことについても書いていきたいと思っています。
■関連記事
MONSTER 最終話「本当の怪物」 その2
人の命は平等だと考えるテンマに、死こそが平等なのだと突きつけるヨハン。銃弾に倒れたヨハンをもう一度救うことで、テンマは自分の信じたものを貫き通します。
【あらすじ】
「人間はね……何にだってなれるんだよ」――ニナを苦しませたボナパルタのこの言葉は呪いの言葉などではなく、ニナを怪物にさせないためのやさしい呪文だった。
テンマとボナパルタ、ヴィムの三人の前についに現れたヨハン。ボナパルタはヨハンに心中を迫るが、生きていたロベルトに撃ち殺されてしまう。そのロベルトもルンゲとの死闘で深手を負い、息絶える。
対峙するテンマとヨハン。「あなたにとって命は平等だった……でももう気づいたでしょ? 誰にも平等なのは……死だけだ」
ヨハンは額に指差し、テンマに終わりの風景を見せる。
二人のもとに辿り着いたニナはヨハンに許すと告げ、テンマに撃つのをやめるように言うが、ヨハンはヴィムに銃口を向ける。「Dr.テンマは僕を撃つんだ……そうでしょ?」
そしてヨハンは頭を撃たれた。だが撃ったのはテンマではなくヴィムの父親だった。
ヨハンの命を助けることができるのはテンマだけだった。「あなたは間違っていない」とテンマに言葉をかけるニナ。すべての葛藤を振り払い、テンマはヨハンを救う決意をする。
「人間はね……何にだってなれるんだよ。君達は美しい宝石だ……。だから怪物になんかなっちゃいけない……」
これまで幾度となく出てきたニナの記憶では、ボナパルタは暗い口調と覆い被さるような手の動きだったから双子を怪物にする恐ろしいシーンだと思っていたのに、それがミスリードだったとわかるのがこのシーンです。
ボナパルタのやさしい言葉、ニナの頬を包む大きな手……MONSTERで好きなシーンのひとつです。バラの屋敷の惨劇を目撃し恐怖に震えていたニナが、ボナパルタに怪物になんかなっちゃいけないと言葉をかけられて震えを止める細かい描写もよかったです。
それにしても「何にだってなれるんだよ」という言葉だけでなく、ボナ博士の真意もヨハンに伝えることができたら結果は変わったかもしれないのにと思うと悲しいですね。
ニナが怪物にならずに済んだのは、ヨハンがニナの中の怪物を全部背負ったというのもありますが、ボナ博士のこの言葉もとても大きかったはずです。
こうして考えると、ヨハンばかりが貧乏くじを引いたようで、もう不憫としか言えませんね……。
ヨハンに「私と一緒に死のう……」と詰め寄ったボナ博士。
彼は彼なりのやり方で責任を取ろうとしたのでしょう。でもそれはただ終わりにするだけ。
(最終話ネタバレ→) (←ここまでネタバレ)
ボナ博士は報いを受けました。それも自身がつくりだした511キンダーハイム出身者の手によって。けれどそれさえもずっと覚悟していたのだろうと思うとただ悲しいのです。
満身創痍の中、執念でヨハンの所まで体を引きずりボナパルタを撃ち殺したロベルト。
終わりの風景を渇望しつつも見ることも叶わないまま息絶えましたが、雨粒を涙のように見せる演出が巧いと思いました。
しかしなぜロベルトには終わりの風景を見ることができなかったのでしょうか。
まず考えられるのは、望んで見られるものではないということ。というよりもそう望んだ時点でアウトのような気もします。
ふたつめは、ヨハンが終わりの風景を見せるというのは「唯一の愛情表現」(ニナの台詞より)でもあるからです。名前を与えてくれたヴォルフ将軍や、命を救ってくれたテンマ……ヨハンにとってはそんな特別な人達に自分自身の孤独と絶望を共有してほしいという思いが、終わりの風景を見せるという行為につながっているのでしょう。
……要するに、ヨハンはロベルトに愛着なんか全っ然湧いていないということなんですが(^^; ヨハンは駒の一つとしか思ってなさそう。哀れロベルト……。
ロベルトには見せなかった終わりの風景をテンマに見せるヨハン。
原作を読んだ直後のMONSTER全巻ネタバレ感想では、テンマが終わりの風景を見ていないかのように書きましたが、今ではやはりテンマは終わりの風景を見たのだと思っています。
そもそもテンマの見た終わりの風景とは何なのでしょうか。
それを考えるうえで外せないのがヨハンとの関係です。
1986年、テンマはハイネマン院長の命令を無視してヨハンを執刀しました。それまで院長の命令に逆らえず、ただ言われるがままだった彼が、初めて自分の意志で行動したのがヨハンの手術でした。
テンマにとって「人の命は平等」という思いを象徴する存在がヨハンなのです。
そのヨハンを撃つという行為は、テンマからすれば自身の信念を打ち砕くということに他なりません。ロベルトには躊躇せずに撃てたのに、ヨハンに対してどうしても撃てないのは、テンマのアイデンティティが崩壊することになるからです。それはテンマにとって名前を失うのと等しいこと。だからテンマには終わりの風景が見えるのでしょう。
怪物を生き返らせてしまったことに自責の念を抱きながらも、その一方で、ヨハンを殺害することが自己の信条と矛盾してしまうことにテンマはずっと葛藤していたのです。
それでもヨハンに銃口を向けるテンマに「あなたには見える……終わりの風景が……」と言うヨハン。風が吹きすさぶ荒野の風景をテンマに見せます。
ヨハンはすべてをわかっていたのだと思います。テンマの葛藤も苦悩も孤独もすべて。そしてヨハンも自分が抱いているそれらのものをテンマに理解してほしかったのでしょう。
二人が互いの心情を共有したのが、あの終わりの風景のシーンだったのだと私は解釈しています。
ニナに許すと告げられても、テンマに撃たれて死ぬことだけが唯一の望みかのように、ヴィムに銃を向けるヨハン。子供を盾にすればテンマでも撃たざるを得ないだろうと思ったのでしょう。けれどもこの行動の裏で、ヨハンはやはりテンマに撃ってほしくなかったのだと思います。第57話「あの日の夜」でアンナに「僕を撃てよ」と言った時と同じように。
「平等なのは死だけだ」とヨハンは言いました。けれども、それをテンマに実行させようとしつつも、自分の考えは間違っていると打ち破ってほしかったのだと思います。「人の命は平等」というテンマの信条の中に、自分自身も入れてほしかったのです。
あの時、ヨハンはテンマにすがっていました。いつも表情の変わらない彼が「そうでしょ?」とテンマに言った時、表情にならない表情が彼にはありました。笑顔を作ることも涙を流すことも演技ならできる彼も、あの時だけはそんな余裕さえなかったということです。
ヨハンはテンマに撃ってほしくなかった。あの表情を見るとそんな逆説もあり得るのではないかと思うのです。
結局ヨハンはテンマにではなく、ヴィムの父親によって撃たれます。ヨハンを救うことができるのはテンマしかいない。再びテンマに突きつけられる重い選択。
ここでニナはテンマにも許すと言います。
「私は許したい……。テンマ……あなたは間違っていない……。あの時も……これからすることも……」
ニナというキャラクターは、ヨハンとテンマ、二人を「許す」存在なんですね。
対してヨハンは、「死」をテンマとニナに突きつける存在。
そしてテンマはそんな二人を「救う」存在に位置付けられていると。
そうしてニナに許されたテンマは、自分の信じたものに立ち返り、ヨハンを救うのです。長い長い旅の末に出したテンマの答えに、静かな感動を覚えたシーンでした。
クライマックスということもあり、今回は緊迫感のあるシーンが続きましたが、ちょっと一息つく温かいシーンが、なくなった宝くじのことよりも夫婦の絆を再確認する夫婦のシーン。重いストーリーの中でも、こんな些細なエピソードを入れるところがMONSTERの良いところですね。
作画の面では、今回ヨハンもニナもその美しさが際立っていました。とくにヨハンはその眼差しひとつひとつが印象的で、見とれてしまいました。このブログ、ヨハンが原作より劣る作画だと何回かいちゃもんつけていたよーな気がしますが、今回の出来は満足です。雨がしたたって美しかー。
次回はついに最終回。私自身はもう放送は見ているので、毎週の楽しみがなくなって寂しいです。ともあれ、次回の感想も頑張りますのでよろしくお願いしますm(_ _)m
過去に登場したいくつもの伏線が収束する回。雨のルーエンハイムで一人ひとりの思惑が交錯していきます。
【あらすじ】
激しい死闘を繰り広げるルンゲとロベルト。ロベルトが何者なのかを訊いたルンゲに、ロベルトはある記憶を話し始める。彼はグリマーの語った511キンダーハイム時代の思い出に登場する、グリマーと約束を交わしたあの少年だった。途中形勢が不利になるものの、逆転に成功したルンゲはロベルトに銃を突きつける。
ルンゲが赤いバラの屋敷で見つけた「怪物のラブレター」は、ボナパルタが双子の母親への恋心と悔恨を書き綴ったものだった。バラの屋敷の惨劇は、双子の母親に恋をしたボナパルタが彼女と双子を助けるために引き起こしたのだった。
ニナとギーレンはボナパルタが絵を描くのに使用していた「吸血鬼の家」に足を踏み入れる。双子ばかりが何枚も描かれた未完成の絵を見て、不意に幼少の頃の記憶を思い出すニナ。記憶はバラの屋敷から戻ったニナと三匹のカエルに一人で待っていたヨハンの当時のやりとりだった。この時と同じようについ先ほどもこの絵を見て泣いていたというヨハンを思い、ニナはある決意をする。
ルンゲ警部とロベルトの壮絶な戦い。
いつも無表情のルンゲ警部だけれど、孫のことをロベルトに突かれて動揺する彼は、本質のところではやはり人間らしい人間なんですね。
そしてロベルト。ここへ来て彼の正体がわかります。第47話「悪夢の扉」での伏線がロベルトにつながる見事な構成。普段はコワイウザイキモイなロベルトですが(笑)、ココアの話をする時だけはやさしい目をしていました。もしグリマーさんと会って記憶を取り戻すことができたのなら、終わりの風景に固執することもなかったのかもしれません。
ボナパルタが双子の母親への想いを書き綴った怪物のラブレター。
「一番罪なことは人の名前を奪い去ること。名前を取り戻そう。君に名前を返そう。君の名はアンナ。今はただ悲しい……悲しい……悲しい……悲しい……」
この手紙で、双子の母親も洗脳によって名前を奪われていた一人だということがわかります。アニメでは「悲しい……」の部分と合わせて細かいカットがなされ、よりボナパルタの悲しみを印象づけていました。
双子の母親への恋心を自覚した瞬間、計画を放棄し、彼女と双子の存在を実験の関係者から隠すために赤いバラの屋敷の惨劇を引き起こしたと告白したボナパルタ。
それまで静かで弱々しい口調だったのに、テンマに振り返り一言「それだけだ」と言った彼は、迫力さえも感じさせました。双子の母親へ突然抱いてしまった恋心も、計画より恋を優先し彼女と双子を助けるために多くの人間を殺してしまったことについても、こればかりは後悔してはいないのでしょう。ボナパルタにとっては双子の親子三人のほうがずっと大事だったのだから。
双子がリーベルト夫妻とともにテレビに映っているのを見て、たまらずリーベルト夫妻の家へ向かったボナパルタのシーン。第57話「あの日の夜」でも出てきましたが、ボナパルタはただ双子に会いたかっただけなんですよね。そしてヨハンはただボナパルタ=怪物が怖かっただけ。ボナ博士の心情、ヨハンの心情、どちらもわかるから切ないです。
(次回73話ネタバレ→) (←ここまでネタバレ)
今回の話で一番難解だったのが、後半まるで何かに取り憑かれたかのようなニナの言葉だったと思います。上のあらすじにも書きましたが、あれは赤いバラの屋敷から逃げてきたニナと、ニナと同じ女の子の格好をして三匹のカエルで一人待っていたヨハンのやりとりです。ニナとヨハン、どちらの台詞なのかわかりづらいので、下に書き出してみました。
ニナ「ただいま」
ヨハン「おかえり」
ニナ「あたしね……怖いものを見たの……。とってもとっても怖いもの……。たくさんの人が死んでいったの……。赤いバラの屋敷……みんなお酒を飲んだの……。そうしたら…そうしたら……みんな苦しんで折り重なるようにあたしの目の前で……!!」
ニナ「お母さんはどこ……?」
ヨハン「ごめんね……」
ニナ「何をあやまってるの?」
ヨハン「あの時……」
ヨハン「二人で生きていかなくちゃ……二人で生きて……」
ニナ「なんで泣くの……? なんで泣いてるの? 泣かないで……!! 泣かないで!! 泣かないで!!」
ヨハンはついさっきまであの時みたいに泣いてたというニナの台詞から推測しました。たぶんこれらの台詞は記憶のまま子供の頃のものだから口調も幼いのですね。
ヨハンが涙を流してニナに謝っているのは、自分ではなくニナがバラの屋敷に連れて行かれてしまったからでしょうね。自分の代わりに怖い思いをさせてしまったことを謝っているのでしょう。
(最終話ネタバレ→) (←ここまでネタバレ)
さらに、ニナとは別に母親が連れて行かれるのを止めることができなかったからというのもあるのかもしれません。(最終話ネタバレ→)
(←ここまでネタバレ)どちらにしろヨハンはニナに対して罪悪感を覚えていたのだと思います。こうして見るとヨハンは繊細で優しい子だったのでしょうね。人一倍優しいから、自分だけ助かったことを悔やんでニナに泣きながら謝って。
双子の記憶が入れ替わったのは(正しくはニナは記憶を忘れ、ヨハンがニナの記憶を自分のものと思い込んだ、ですが)、この罪悪感とニナへの負い目が最大の理由だった気がします。怯えて震えているかわいそうなニナの話を聞き、屋敷で体験したニナの中の怪物を全部背負った結果生まれたのが、怪物としてのヨハンなのでしょう。
生まれながらに優れた頭脳を持つヨハンなら、この時ニナに催眠術のようなものをほどこして記憶を忘れさせたとしてもおかしくはなさそうですし。
第67話「ただいま」でニナがヨハンを撃てなかったのも、ニナの中の怪物をヨハンがすべて引き受けてくれたのがわかったからですね。
それにしてもボナパルタの絵を見て泣いていたというヨハン。彼はどんなことを感じ、どんなことを思って泣いたのでしょう。ヨハンもあの絵を見た瞬間、ニナと同じように二人のやりとりを思い出したのでしょうか。(最終話ネタバレ→)
ボナパルタの気持ちは彼に伝わったのでしょうか。もう怪物ではなくなり、このルーエンハイムで双子のことを思いながら過ごした彼をヨハンはどう思ったのでしょうか。
子供の頃も今も、ヨハンが涙を見せる、あるいは悲しそうな表情を見せる時は具体的に描かれず、ニナの言葉を通してのみなので、想像するしかないのだけれど……ヨハンの泣き顔……見てみたいです。かわいいだろうな……(オイ)
人間は感情をなくすことはできない。ずっと探し求めていたものをようやくつかむことができたグリマーさん。彼の言葉と涙に心を打たれました。
【あらすじ】
ついに再会を果たしたテンマとルンゲ。ルンゲはボナパルタの居場所をテンマに告げ、「すまなかった」と言葉を残して、ロベルトのいるホテル・ベルクバッハへと向かう。
ニナとギーレンはテンマの助けで町から逃がれてきた人々に警察への連絡を頼み、テンマが向かったというホテル・フェアシュテックへ向けて走りだす。
そのフェアシュテックで篭城していたグリマー、ボナパルタらは、向かいの建物から銃撃を受ける。意を決して外に出たグリマーは、向かいの建物に立てこもる男達に今していることの意味を強く問うが、町の娘が目の前で殺され、激しい怒りに駆られてしまう。
男達を倒し、自らも深手を負ったグリマー。超人シュタイナーではなく自分の意志でやったのだと駆けつけたテンマに話した彼は、今になって自分の子供が死んだことが悲しいと語り、静かに息絶える。己の過ちの重さを思い知ったボナパルタはただ泣き崩れるしかなかった。
降りしきる雨が醸し出す陰惨な空気、ルーエンハイムの町が陥った異常な恐怖、テンマとルンゲ警部の再会と和解、グリマーさんに駆け寄った女の子の無惨な死、グリマーさんの怒り、叫び、涙、言葉、ボナパルタの心からの後悔。どのシーンも手抜き一つない素晴らしい作りでした。丁寧な作画や演出、場面の一つひとつが生きる音楽と、このアニメの良さが存分に味わえる回だったと思います。
今回はグリマーさんがメインの話ですが、それは後にしてまずはルンゲ警部について。
テンマを犯人と決め付けていた頃の勘違いぶりはどこへやら、ルーエンハイムに入ってからのルンゲ警部はとにかく格好良いです。テンマに後ろ姿で謝罪するシーン、ライフルを構えてロベルトのいるホテルに進入するシーン。どちらも格好良すぎてメロメロですわ。
とくにホテルに進入する時にうっすらと汗をかいていたところ、敵に惑わされずに銃を容赦なく撃ち、相手の腕を踏みつけて口に銃口を向けるところなど、アニメ独自の細かい描写がよかったです。
ソーセージ屋の女の子はグリマーさんと同様、死んでしまうとわかっていてもやっぱりそのシーンになるととてもつらかったですね。せっかくテンマに会えたのだから、あの時一緒に付いていけば死なずに済んだかもしれないのにと思うと…。
ただこの人は、アニメではエルザと名前が付いていたり(エンドロールで確認)、原作より美人さんに描かれていてスタッフからもひいきにされていましたね~。
アニメだけのシーンといえば、物音(というか奥さんを殺された男性の泣き声)に突然銃を構えたテンマに驚いたこの女の子に、「しー」と人差し指を口に当てる仕草をしたテンマがめっさかわいかったです。やー、いいものを見せていただきました。萌えー。
それはともかく。多くの人が涙したと思われるグリマーさんの最期のシーン。
私も例にもれず泣いてしまいました。アニメでこのシーンを最初に観た時にはじんわりと、巻き戻して観た時にはもう目が熱くなって涙をぽろぽろと流していました。
話の展開はわかっているのに、これほどまでに感情移入できるとは。グリマーさんの悲しみを見事に演じきった田中秀幸さんの演技力、グリマーさんの言葉が心にしみわたるように流れた音楽。すべてが秀逸で、のめり込んで観ることができました。
とりわけよかったのが、グリマーさんの「人間は感情をなくすことはできない」の言葉の時に映し出されたボナパルタの表情。このシーン、原作ではボナパルタに特にクローズアップするということはなく、あくまでもグリマーさんの言葉がメインでした。
けれどアニメでは、グリマーさんの言葉に乗せるようにボナパルタの悲しみに満ちた表情を映し出すことによって、グリマーさんの言葉がそのままボナパルタにも通じるのだと思わせる、効果的な演出になっていました。
双子の母親に名前などいらないと冷たく言い放った以前のボナパルタは、まったく感情を見せず、感情なんてないようだった。けれども、(次回72話ネタバレ→)
人間は感情をなくすことはできない。
このグリマーさんの言葉をあの中で一番身にしみて感じていたのがボナパルタだったのでしょう。
実験によって別の人格が現れ、暴力性を持った子供達はほとんどが自殺したそうですが、なぜグリマーさんだけは死を選ばなかったのか。そして、なぜ感情を取り戻すことができたのか。
第49話「一番残酷なこと」で孤児のミローシュにかけた言葉を、グリマーさんはそれまでにもずっと心に思っていたのだと思うのです。自分が生まれてきたのには意味がある。その思いがあるから、グリマーさんは511キンダーハイムのことをずっと調べ続けていたのでしょう。実験のことを明るみにしたいという気持ちもあるのでしょうが、自分自身のルーツを知りたいという思いがグリマーさんの原動力だったのではないかと。
そんな風に目的・希望を持っていたグリマーさんだから、ほとんど自殺したという子供達や、今「完全な自殺」をしようとしているヨハンと違って、虚無感に囚われることなく、自殺という選択をしなかったのでしょう。
感情を取り戻すことができたのは、やはり様々な人達との出会いがあったからでしょうね。
511キンダーハイム時代のココアの少年との約束(47話「悪夢の扉」)、別れた奥さんや死んだ子供の存在、自分自身の境遇と重ね合わせた孤児のミローシュとの出会い。
そして何よりも、憎むべき存在だったはずのペドロフさん(41話「511の亡霊」)やボナ博士の変化を目の当たりにしたことが大きな理由になると思います。
名前を奪い、感情を奪った彼らの行き着いた先は、実験で得ようとしていたものとはまったく相反するものだった。その事実が、グリマーさんを目覚めさせる要因にもなったのではないでしょうか。
ついに明かされたフランツ・ボナパルタの正体。511キンダーハイムを創り、怪物を生み出した恐ろしいはずの男はしかし、もうその面影を見ることはできない。
【あらすじ】
ヨハンから「ルーエンハイムで待っている」とのメールを受け取ったニナ。ヨハンに「完全な自殺」をさせないため、ルーエンハイムへ向かう決意をする。
一方、山の林道から町に進入したテンマは、生き残っている人々を助けるために奔走していた。刺客が放たれ、恐怖に包まれたルーエンハイムは、至る所に死体が転がる惨状の町と化していたのだった。
ルンゲとグリマーは町に銃をばら撒いた老夫婦を追及するが、不意にホテルのオーナーが口を開く。彼こそがフランツ・ボナパルタその人だったのだ。ここでただ審判が下りるのを待っていたと話すボナパルタに、グリマーは行き場のない怒りをぶつける。
ルンゲは殺戮を指揮している男を老夫婦から訊き出し、狙撃銃を手にホテル・ベルクバッハへと向かう。ビールをおごる約束をグリマーと交わして。
ああ。やっと大っぴらにボナパルタのことが語れます。ボナ博士ボナ博士!
ただし前から期待していた正体がわかるシーンは、思ったより肩透かしだったのが正直なところです。どうも原作時よりあっさりしているというか余韻がないというか。一応、効果音も付いていたけれど、即ディーターとエヴァのシーンに移ってしまい、いまいち盛り上がりに欠けていたような気がします。
ディーターとエヴァ、ニナのシーンと順序を入れ替えて、ボナ博士の正体発覚→MONSTERのタイトルが右下に浮かぶ→CM、という流れにしたほうがインパクトは強くなったのではないでしょうか。
ディーターとエヴァのミスマッチな組み合わせをアニメでも見ることができたのはよかったですけどね。好きですこのコンビ。
「目的は私なんだろう……その彼の目的は」
フランツ・ボナパルタの時は冷徹な声、クラウス・ポッペの時は穏やかな老紳士の声。
ボナパルタ役の野沢那智さんはこの変化をうまく演じ分けていましたが、正体を明かす時の台詞はボナパルタに戻ったように静かな暗い口調でした。
……温和なポッペさんも良いですが、冷淡なボナ博士の声が好きなので久々に聴けてうれしかったです。ハイ。
ヨハンがルーエンハイムでやろうとしていること。ニナの言う「完全な自殺」とは何か。
ルンゲ警部とグリマーさんが代弁してくれました。
その人間を知る者、その人間の過去を知る者、すべてを消し去れば、実在の人間は架空の人間になることができる。
下は、ヨハンが何を考え何をやろうとしているのかわかると言ったグリマーさんの言葉。
「私も架空の人間だ……」
「私は誰でもないんだ」
「ならば共に消え去ろう……。記憶を奪い、名前を奪い取った者と共に」
こうしてヨハンは、自分を生み出しすべてを奪い取ったボナパルタと、ボナパルタを知るルーエンハイムの人々の存在を消し去ろうとしているのです。赤いバラの屋敷の惨劇を、そして絵本の「なまえのないかいぶつ」のラストをそのまま再現するかのように。
審判が下りるのをここで待っていた、死ぬのは怖くないがどう償えばいいのかわからないと告白したボナパルタ。それを聞き、ボナパルタの胸倉をつかんで怒りのまま罪を問いただすグリマーさん。
グリマーさんの怒りは、彼が抱いて当然のもの。本当は殺してやりたいほど憎いだろうに(その“感情”だって自然に湧き出たものではなく人工的に作った見せかけのもの)、ボナパルタの罪を世の中に明らかにすることを選んだ彼は強い人です。
「人間は子供が死んだ時、心の底から悲しいと思わなければならない」と切々と語ったグリマーさんと、自らの罪を自覚し、悲しみに満ちた表情のボナパルタ。どちらの心情も理解できるから、より一層切ないシーンになっていました。
ボナパルタがヴィムにやさしいのも、実験対象だった子供達に対するせめてもの罪滅ぼしだったのでしょう。
けれども、このシーンでは重要な台詞がカットされてしまったのが残念。
グリマーさんの「あんたがやったことがどれほどの罪だったのか……!」に続く、「当時、西側の世界を破壊するために何を生み出したのか!! そんなちっぽけな陰謀のために……!!」という台詞。
旧秘密警察時代、ボナパルタはどんな目的で実験を行っていたのか。
物語の中であまり多くは語られていませんが、それを推測できるのが上記の台詞です。
おそらく実験は西側陣営を駆逐する計画の一環であり、実験で作り出した感情のない子供をグリマーさんのようにスパイにしたり、傑出した能力の子供を東側世界の指導者に仕立て上げようとする政治的・軍事的意図があったのでしょう。その中でもずば抜けた能力を持って生まれたのが、ヨハンとアンナの双子の兄妹だったのかもしれません。
ただボナパルタ個人にとっては西側・東側などには興味がなく、科学者としての好奇心や野心から始めたのではないかと思っています。
ライフルを抱え、意を決して部屋を出て行くラストのルンゲ警部は格好良かったです。重厚な音楽と磯部勉さんの低く響く声は否が応でも盛り上がるなぁ。グリマーさんと交わした約束も、ルンゲ警部らしくないところが逆にいい。
しかしソーセージ屋の女の子、何でグリマーさんがダメでロベルトがOKなんだろう…。
(前々回で、「最近いい人来ないの?」と聞いたグリマーさんを前にして「来ない来ない!」とグリマーさんを全否定している)
町の子供達にいじめられている少年に付け込むように銃を渡す老夫婦、町から連れ出してくれる素敵な人が現れたと喜ぶソーセージ屋の娘、大雨で交通が寸断され孤立状態となった町のあちこちで幾度も響き渡る銃声……。歯車が狂い、次第に状況が悪化していくルーエンハイムの様子が描かれた回。
【あらすじ】
ヨハンが「完全な自殺」を始めようとしているとニナから知らされたテンマは、ボナパルタの居場所を知るためにチェコのプラハへ赴く。そこではボナパルタの息子・リプスキーから、ドイツ系チェコ人のボナパルタの本名がクラウス・ポッペであり、故郷のドイツへ帰ったという情報を得る。さらに、ボナパルタが別の名で描いた絵本のタイトルが「Ruhenheim」(安らぎの家)だったことから、ボナパルタの故郷がルーエンハイムであることを突き止める。
そのルーエンハイムではすでに惨劇が始まっていた。この事態を予測していたルンゲとグリマーもなすすべがないまま、銃がばら撒かれ、銃声が鳴り響き、人が殺された。大雨で陸の孤島と化したこの町に、今テンマが向かう。
おいしいコケモモジャムを作ったコンラートさんの写真を老夫婦に見せるホテルのオーナー。そんな和やかなやりとりの一方、当のコンラートさんは血を流して死んでいた……。ルーエンハイムの殺戮が始まったことを告げる冒頭のシーンを、過剰な描写に頼らず淡々と描くところがいかにも「MONSTER」らしいです。
以下は原作のネタバレです↓↓↓
↑↑↑ここまでネタバレです。
ルーエンハイムの街を見渡して、これから起きることを話し合うルンゲ警部とグリマーさん。前例として住民同士が殺し合い生存者が一人も残らなかった事件が二人によって語られます。「ニーダーザクセン州」「ツヴァイフェルシュタット」など固有名詞がもっともらしく聞こえるけれど、試しに検索しても大したヒットはないから、これは作者の創作した事件でしょうね。それでも、これからこの町でも起きる異常な事態にリアリティを与えるという点では効果的なエピソードだと言えます。
原作ではニナとテンマのシーンの後、姿を消したテンマを必死に探すディーターが描かれるのですが、残念ながらアニメではカットされていました。
以前の回で、チェコからドイツに戻ったニナとディーターをライヒワイン先生が迎えるシーンもアニメではカットされていたから、ディーターの関連シーンは二度も省かれたことに。チェコ編以降、出番が少ないとはいえ、OPにも出ているキャラなのにこの扱いはあんまり。「一緒にいてよ」と泣きながら言うディーターが見たかった…
今回、再び登場したリプスキーさん。以前は路上で人形劇を見せても人が集まらなかったけれど、ニナを模した女の子の人形劇ではお客さんをつかむことができたようです。
創作のためにバラの屋敷に通い、父親の絵本に似たタイプの人形劇にこだわっていた彼の傾向が変わったのはニナに出会ったことが一番の要因かもしれませんが、赤いバラの屋敷が焼け落ちて父親のボナパルタに囚われなくなったことも大きいような気がします。父親と自分を結ぶバラの屋敷がなくなっても何の感慨も湧かないことに気づいたリプスキーさんが、「あんなものいらないから」と父親からの絵葉書を簡単にルンゲ警部に譲ったこともそれの表れなのかもしれません。
以下は原作のネタバレです↓↓↓
↑↑↑ここまでネタバレです。
- グリマーさんとソーセージ屋の娘が会話するシーンでは、彼女と並んだグリマーさんの背の高さにときめきました。女の子と一緒のシーンだと高身長が際立ちますね~。190以上は確実にあるんだろうな。それを考えると映画のキャストはデヴィッド・シューリス(この人も相当背が高い)にぜひやってもらいたい。鼻が大きいとこもそっくりなのです。
- 突然絵本マニアのところに押しかけているテンマに笑ってしまったです。原作では紹介してもらって訪ねたことになってるけれど、アニメでは省かれたから「なんでテンマこんな怪しい人のとこにいきなりいるの?」ってなりかねないような。
ついに最後の舞台、ルーエンハイムへ。ルンゲ警部とグリマーさんがそろって登場し、物語はクライマックスへ向けて動き出していきます。
【あらすじ】
南ドイツの山あいにある静かな町、ルーエンハイム。何の変哲もないこの町に二人の人物が降り立つ。ルンゲとグリマーだった。町の様子を探る中で二人は出会い、それぞれ別の手がかりからこの地に辿り着いたこと、この町で起きる殺戮をくい止めるために来たことを確認しあう。彼らは町外れにある家を訪れ、そこで何枚も描かれた双子の絵を発見する。
そんな中、町では異変が起き始めていた。銃声、そしてサブマシンガンで撃ち殺された猫の死体……。それは密かに、だが確実にこの町を蝕んでいくのだった。
久しぶりに登場した主要キャラ、ルンゲ警部とグリマーさん。
味のある名脇役という立ち位置から「MONSTER」において双璧をなす二人です。このコンビ、別々の手がかりから自力でルーエンハイムに辿り着いたというから、その有能さがうかがえます。うーん格好良い。
特にグリマーさんはスークに着せられた濡れ衣を被って指名手配されているのに、警察の追っ手を逃れてここまで来たのだからすごい。でもよく考えたらテンマもそうなんですけどね。偽名も使わずにウロウロとしているのに捕まったのは一回だけ…ってそこは突っ込んじゃいけないんでしょうが(笑)
さて、満を持して登場したルーエンハイムの人々について。
酒浸りの父親に虐待され、町の子供達にいじめられている少年、ヴィムの声は矢島晶子さん。クレヨンしんちゃんの野原しんのすけ役で有名ですが、女の子の役から大人の女性役まで幅広く演じている声優さんでもあります。その中ではこの人の少年声が特に好きなので、「MONSTER」でも聴けてうれしいです。
以下は第72話「名前のない男」のネタバレです。反転して見てください。↓↓↓
↑↑↑ここまでネタバレです。ネタバレの文章のほうが多くてすみません。
エンドロールの絵本が進み、とうとう最後の場面になりました。ということは最終回でもこの映像のままなのかな? 最終回ではこのエンドロール自体が流れない終わり方になるのかもしれませんが。
フジ子・ヘミングのEDテーマ「Make it Home」はこのまま変わらないようですね。最初聴いたときは衝撃を受けましたが、今ではつい口ずさんでしまうからわからないものです。慣れって恐ろしいですね。
でも慣れたからと油断してサントラをヘッドホンで聴いたら、あの異次元から囁くような声にビクッとしてしまった自分。あのときは怖かったよママン。
ヨハンとニナが再会し、今まで幾度となく登場していた伏線が明かされた回。フランクフルト編から最後の舞台、ルーエンハイム編に移るためのまとめのような回でもあります。
テンマとニナ、ヨハンの三人がそれぞれ「行くべきところ」を信じて歩き出すシーンが印象的。
【あらすじ】
赤いバラの屋敷に連れて行かれたのはヨハンではなくニナのほうだった。屋敷の惨劇を目にした幼い彼女が再び「三匹のカエル」に戻った時、そこにはニナと同じ格好をしたヨハンがいた。ニナは恐怖に震えながら屋敷で起きた出来事をヨハンに話し続けた。そうしていつしかニナの忌まわしい記憶は曖昧になり、ヨハンはニナの記憶を自らの記憶だと思い込んだ。
ヨハンが怪物になってしまったのは私のせいだと自分を責め、自殺を図ろうとするニナ。テンマはそんな彼女に「生きていてくれ」と言い、強く抱きしめる。チャペックはヨハンがボナパルタを殺しに行くだろうとテンマに告げるが、彼も失意のまま護衛の男に殺される。
一方、ニナから真実を聞かされたヨハンは、計画のことなどもうどうでもよくなり、虚無感を抱くようになっていた。
テンマ、ニナ、ヨハン。三人は行くべきところを求めて歩き始める……。
一枚の絵葉書を手に、山あいの小さな街に降り立つルンゲ。このルーエンハイムという街で、何かが起ころうとしていた。
ニナがヨハンに言った本当に怖い話。それはニナにとっての恐ろしいこと。バラの屋敷に連れて行かれたのはこの自分。ヨハンではなかった。
残酷な事実に絶望するニナの悲痛な叫びが、能登さんの演技では迫力不足だったのが残念。自殺さえも口にしたニナの苦しみをもっと強く表現してほしかった。
ただ、バラの屋敷であったことを自分が体験したように言うヨハンに対して「違う」と繰り返すところや、「あたしには、撃てなかった」と小さく呟き、泣くのをこらえるような声音にはぐっと来ました。
「なまえのないかいぶつ」の朗読など、この人は静かで抑えた演技のときに声の良さが出る気がします。
ニナの話を聞いて、笑っているようにも見えたけれど泣いていたようにも見えたというヨハンの顔。漫画でもアニメでもその表情は見られないけれど、どんな顔をしていたんだろう。感情を出さないヨハンだから、ニナの台詞だけでなく実際に見てみたかった。
自殺を吐露したニナをテンマが抱きしめるシーンは原作以上によかったです。ニナを強く抱きしめるテンマの仕草も、ニナを失うのが怖いテンマの必死な声も、テンマの心情を語るような音楽も。
一見するとまるで告白シーンのようですが、テンマがニナに対して抱く感情は、恋愛感情……ではないでしょうね。
テンマにとってニナは、仲間、同志、そういったもの。
医者としてヨハンを助けてしまったこと、その助けた少年が怪物だと知りヨハンを追っていること、そんなテンマの抱える葛藤をすべて知ったうえで「あなたは悪くない」と言ってくれた人だから。そしてヨハン追跡の孤独な旅を唯一共有している人だから。テンマにとってニナはただ一人の理解者。
また、それはニナにとっても同じはず。二人ともお互いがいたから孤独に打ちのめされることなく、心が救われている部分もあるのでしょう。
ペトル・チャペックが護衛の男に殺されるシーンでは、前回66話で幼いヨハンに殺された夫婦のシーンと同じ曲が。どちらも儚く虚しいシーンですが、このことで前回の「おかえり」と今回の「ただいま」が二つで一つの話というような印象を抱きました。アニメの「MONSTER」は音楽自体が素晴らしいのですが、演出としての使い方も洗練されているところが好きです。
ニナから本当のことを聞かされたヨハンが、急に夢から覚めた理由について。
バラの屋敷に連れて行かれたのは自分ではなかったと知ったヨハンが、どうしてそれを知ったとたん、企てていた計画さえも捨ててしまったのか。
ミュンヘンの図書館で絵本の「なまえのないかいぶつ」に再び出会い、チェコの旅で子供の頃の自分を徐々に取り戻しつつあったヨハン。しかしニナの告白によって、それまで固まりつつあった自分という存在が脆くも崩れてしまった。
その固まりつつあった記憶というのは、511キンダーハイムで録音されたという自分自身の声のテープを聴いたことによるものでしょう。(第48話「一番怖いもの」参照)
実際にバラの屋敷に行ったわけではないのだから、記憶というよりはぼんやりとした存在証明のようなものでしょうが、これを失ったことが理由のひとつになると思います。
以下は最終話のネタバレです。反転して見てください。↓↓↓
けれども最大の理由は、
↑↑↑ここまでネタバレです。
そのほか箇条書き。
- 前回の終わりと今回の冒頭に登場した、ヨハンを執刀する若きテンマとあの日の夜の幼い双子を交互に映した回想シーン。この場面で胸がいっぱいになりました。「大丈夫だ、頑張れ」「僕が…助けてやる!」(原作微妙にネタバレ→) (←ここまでネタバレ)
- 壁のない真っ暗な部屋に何日も閉じ込められるのってけっこう拷問ですよね…。いくら食事は用意されているといっても、外から悲鳴が聞こえてたとか怖すぎる。ニナもよく閉所恐怖症にならなかったな…ってヨハンがいたからそれさえも忘れることができたってことなんでしょうけど。
- 銃を頭に向けたままのニナにかけるテンマの言葉がすごくやさしく、先生らしくてよかったです。「そう……そうだ、落ち着いて……」「よし……いい子だ」 ……いい子だ……! ニ、ニナがちょっとうらやま(ry
次回はもうルーエンハイムですね。ああもう本当にクライマックスなんだなあと実感。9月で終わりですからね…。
最近2週遅れの感想になっちゃっているので、もうちょっと早く書けるように頑張ります。
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